エトルリア時代の遺跡に囲まれた村、ブレラ近郊にある「サン・ジョヴェナーレの遺跡に行ってきました。
林の中にひっそりと隠れるようにあるこの遺跡は、崩れかかった看板がなければ気が付かずに通り過ぎてしまいそうです。現地に到着すると、私達はすぐ「椅子の墓」と呼ばれる紀元前6世紀後半に作られた墓の中に入ってみました。2部屋あり、最初の部屋には、入り口から見て右側に椅子があることから「椅子の墓」と呼ばれています。この墓は、エトルリア時代の住居をモデルに、凝灰岩を削って作られています。この部屋の左側には、供物を置くテーブルもあります。


ここはエトルリア時代の墓地、ネクロポリスで、凝灰岩の岩壁を削った墓が雑草の間からたくさん顔を覗かせています。


中部イタリアの各地に、エトルリア人が凝灰岩を削って敷いた切り通しが残っています。このポジェッテの切り通しは、居住地区とネクロポリスをつなぐ道だったようです。
ポジェッテの切り通しを進むと、丸い墳墓が並ぶカサーレ・ヴィニャーレのネクロポリスに着きました。最初のネクロポリスと違い、ここは有力者たちの墓地です。紀元前7世紀から5世紀の間使用されていました。
一番大きい墳墓は大きい主人夫婦の部屋と3部屋子供部屋があります。






私たちは、ネクロポリスを後にし、サン・ジョヴェナーレの礼拝堂とディ・ヴィーコの城の廃墟へと向かいました。

ナルニの司教だった聖ジョヴェナーレは376年ここに葬られ、その上に礼拝堂が建てられました。一方、城は13世紀に、青銅期中期の住居跡の上に建てられました。今では、すっかり草木に覆われ、かつての面影を垣間見ることも難しい状態です。
廃墟の隣には、エトルリア時代の住居跡もあります。一部屋根が設置され上から様子を眺めることができるようになっていますが、ここには何も解説の看板等がないので、当時の様子は想像するしかありません。ここにはいくつも井戸があり、潜って調査をしてみたくなります。エトルリア人は水道工事の達人だったので、地下に水道用のトンネルが網の目のように張り巡らされているのかもしれません。
今回私たちはサン・ジョヴェナーレの遺跡しか主に訪れませんでしたが、ブレラ周辺には他にもエトルリア関係の興味深い遺跡がたくさんあります。ローマから車で1時間ほどのところなので、また必ず戻ります!その時はまたレポートするので、楽しみにしていてくださいね。
場所は、以下のリンクをご参照ください。














