チェーリ地下探検

 エトルリアのネクロポリスで有名なチェルヴェトリの近くに、岩上にちょこんと乗っている小さな村、チェーリは、エトルリア時代から集落があり、4世紀に対立教皇フェリクス2世が殉教した地であり、マラリアが発生した時にチェルヴェトリの住民が避難した土地でもあります。

凝灰岩の岩上にあるチェーリ

 今回は、考古学者の友達に誘われ、集落から少し離れた森の中にあるサン・フェリーチェ教会の廃墟とエトルリア人の墳墓や秘密の地下通路などを探検することにしました。

サン・フェリーチェ教会の廃墟

 岩によじ登ったり、森の中の道無き道を進んでいくと、森と同化しているように佇んでいるサン・フェリーチェ教会の廃墟に到着しました。365年、ローマを追放された教皇聖フェリクス2世が、首を切られた場所です。教皇の遺体をローマに運ぼうとしましたが、遺体を運んでいた牛が歩くことを拒否しどうしても動かなかったため、この地に教皇を埋葬し、その上にこの教会が建てられました。しかし、集落から離れており、不便なところにあるため、この教会は徐々に忘れ去られてしまい、このような廃墟と化してしまいました。ここに祀られていた聖母像などは盗まれてしまい、数年前に入り口の壁が崩れてしまいました。私たちを案内してくれた村の人は、子供の頃ここに祭壇が残っていたのを覚えているそうですが、今では跡形なく消え失せています。

壁面に残された聖母像

 奇跡的に聖母像の壁画を確認することができました。しかし、風雨に晒されている状態のため、保存処置を施さない限りこの壁画が消え去るのも時間の問題でしょう。

教会の地下

 教会の下に穴があるので、潜ってみました。高さ約1m50cmくらいの空間です。祭壇があった場所付近につながる穴も発見しました。もしかしたら、聖フェリクス2世の遺体が埋葬されていた場所かもしれません(現在聖フェリクス2世の遺物は、チェーリのマドンナ・ディ・チェーリ教会に納められています)。

切り通し

 サン・フェリーチェ教会の背後には、エトルリア時代の切り通しが伸びています。凝灰岩の壁には幾世紀もの時間をかけた自然との壮大な調和があり、圧巻です。深い岩の割れ目の中で、スイスイ歩く道案内人のあとを、逸れないよう時々岩をよじ登りながら進んで行きました。

エトルリア時代の墳墓に到着

 岩壁をよじ登り切ったところは、なんとエトルリア時代の墳墓の口があちこちに開いているネクロポリスでした。

墓の入り口
墓内部

 岩を掘ってできた墳墓はワンルームか2部屋構造で、大抵夫婦の遺体が埋葬されていた寝台が左右にあります。男女平等だったことがわかるこの夫婦の寝台と鳥居のような入り口、切り妻屋根は、典型的なエトルリア時代の墓です。

墓の内部の映像

 あたり一面に広がる墓穴を思う存分探検した後、この幻想的な切り通しを離れ、次の目的地へと向かいました。

石像の墓

 チェーリの集落から北東に300mほど離れたところに、「石像の墓 Tomba delle Statue」と呼ばれる紀元前7世紀のエトルリア 人の墳墓があります。

石像の墓内部
右側の石像
左側の石像

 この墳墓の大きな特徴は、入り口のある部屋の左右に石像があることです。この石像は世界で一番古いエトルリアの石像だと言われています。しかし、残念なことに、何者かによってこの石像が破壊されてしまいました。上の写真は、その残骸です。

石像の復元図

 これらの石像は、典型的なエトルリア 人の衣装を身につけ、先が尖ったヒゲを生やし、椅子に座って足は台に乗せていました。

 最後に、おまけでチェーリのトルローニア城内にある秘密地下通路と地下室を探検させてもらいました。この城はプライヴェートなので、通常一般には公開していません。このチェーリの地下空間の起源はエトルリア時代にあるようです。長い年月の間、拡張されたりしながら、有事の際に外に避難するための秘密通路や牢獄、倉庫など様々な用途に使っていたようです。

チェーリのトルローニア城の地下通路と地下室

 チェーリ周辺の森には、今回ご紹介したネクロポリスや教会廃墟の他に、水車小屋がかつてあった滝や巨大な古代の貯水槽、水道跡などがあり、歴史と自然を満喫する探検ができます。ローマから車で50分ほどのところなので、イタリアでしか経験できない冒険をしたい方、ご連絡ください。ご案内いたします。

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