グロッタフェッラータのギリシャ式大修道院

 ローマ時代からのローマ市民の避暑地であるカステッリ・ロマーニ地方にある街、グロッタフェッラータの「グロッタ=洞窟」という言葉に惹かれ、調べてみたら、カトリックだけれどもギリシャ(正教会)式の大修道院があり、そこが由来であることを知り、早速行ってみることにしました。

要塞のような入り口

 当時武器の使用が横行していたため、1472〜1503年の間に築かれた要塞のような塀に囲まれているので外見は城のようですが、ここは東方典礼カトリック教会の大修道院です。

入り口付近の中庭

 入り口の門を潜ると、この大修道院の創始者である聖ニーロの像が訪問者を迎えてくれます。ここは、1004年に、当時ビザンティン帝国の支配地だったカラブリアから来た聖ニーロと数名の修道士たちによって、ローマ時代の邸宅跡に創建されました。カトリック教会と正教会が大分裂する50年前の創設だったため、カトリック教会に所属しながらもギリシャ式典礼を採用しています。現在、イタリアで数少ないビザンティン式カトリック教会の一つとなっています。

サンタ・マリア教会と典礼の泉

聖ニーロ像を後にしてさらに奥に進むと、サンタ・マリア教会と典礼の泉がある中庭に出ます。ロマネスク様式の鐘塔がそびえるサンタ・マリア教会は、1024年に大修道院創設者の一人である聖バルトロメオによって建設されました。幾度かにわたって繰り返し修正が行われましたが、現在のファサードは、20世紀前半にネオゴシック様式の装飾が取り外され、13世紀後半の姿に戻されました。一方、側廊のバロック様式の柱と漆喰装飾は18世紀に、内陣席は1901年に追加されました。

サンタ・マリア教会内部

 教会内部も、数世紀にわたって何度も修正が加えられたことがひと目でわかります。後陣最上段は、13世紀のフレスコ画による三位一体(父と子と聖霊)と天使たち、預言者イザヤとダヴィデ像が描かれています。その下には、聖霊降臨場面の12〜13世紀のモザイク画、足下は12〜13世紀のコズマーティ様式による大理石の床が施されています。

サンタ・マリア教会聖障

 正教会の特徴である聖障は、ベルニーニが設計し、アントニオ・ジォルジエッティが彫刻を施しました(1669年)。大理石をふんだんに用いたとても豪華絢爛な作品です。ケルビムが支え、2体の天使像が拝んでいる古いビザンチン様式の聖母子像は、起源が不明ですが、大修道院の創設者たちがビザンチン帝国と深い関わりのあったカラブリア出身だったので、そのころの作品ではないかと考えられています。

ギリシャ語とイタリア語による晩課の一部

 私たちがここを訪れた時、突然祭壇となりの入り口から修道士たちが続々と現れ、晩課が始まりました。カトリックでありながら東方典礼による晩課は、とても珍しいので、こっそりビデオに撮らせていただきました。実はビデオ撮影が禁止されていたらしく、途中で注意を受けてしまったので、ビデオは最初の10分間だけです。お祈りは約30分間ほど続きました。

ファルネーゼ家の礼拝堂

 身廊の右隣には、聖ニーロと聖バルトロメオに捧げたファルネーゼ家の礼拝堂があります。二人の聖人に関する出来事が描かれたフレスコ画と豪華絢爛な装飾は、ドメニキーノが1608〜1610年に手がけたものです。

クリプタ・フェッラータ

 教会入り口内右側に、「グロッタフェッラータ」という地名の起源となったクリプタ・フェッラータがあります。「フェッラータ」とは「鉄格子」という意味で、確かに正面の窓には鉄格子があります。ここはもともとキケロの娘の墓であったと考えられており、伝説によると、聖ニーロと聖バルトロメオたちの前に聖母マリアが現れ、ここに修道院を建てるように言われた場所だと言い伝えられています。大きな石のブロックに囲まれたこのクリプタ内部は、自然にひざまづきたくなるほどとても強く威厳のあるエネルギーを発しています。

柱廊のある中庭

 教会の左隣には、柱廊のある中庭があり、大修道院建設の際に発見されたと思われるローマ時代の柱や墓碑、アンフォラなどが飾ってあります。柱廊に面した建物は大修道院長の邸宅、その隣は博物館です。その他、大修道院内には、ほぼ完璧な状態で遺されている紀元前1世紀の地下柱廊と、1197冊におよぶ古い写本や15〜16世紀の本などが収蔵されている18世紀の図書館があります。

教会がある中庭からの眺め
聖バルトロメオの像

 教会内は自由に入れますが、博物館や地下柱廊を見学するためには、予約が必要です。

Monastero Esarchico di Santa Maria di Grottaferrata – Monaci Basiliani

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